もくじ
1. 平安伸銅工業の歴史
2. TENTについて
3. 老舗メーカーとデザイナーの出会い
4. アイデア出しとネーミング
5. 改善とイノベーションとの違い
6. オワコンから広がる可能性
7. モノを持たへん時代に、何作る?
3. 老舗メーカーとデザイナーの出会い
岩崎さん この両者が、どのように出会ってコンセプトができて、製品化まで至ったかということで、出会いのところをまずはお聞かせいただけますか
竹内一紘(タケウチカズヒロ)※以下、一紘さんと記載
当時の会社の状況としては、さきほど説明があったような現状に対して、会社の中にデザインを入れたいと思っていました。
方法としては2つあって、インハウスのデザイナーを育てるというのと、外注先にお願いするという方法がある。これらを同時に進めていまして、その中の1つの候補としてTENTさんにお願いした、と。
とはいえ、なかなかデザインをやったことがない会社がデザイナーを選ぶっていうのも難しくてですね。デザイナーさんから「やりたいよ」ってお声がけもいただくんですけど、本当に任せていいんだろうかっていう不安が当然でてきますので、まずは何人かに会ってみようっていうところからスタートしました。
具体的にTENTさんと出会った感想としては、自社で在庫を抱えて売っているっていうところ。これは、メーカーの気持ちを理解してくれるんじゃないかなあと感じましたので、それだったらやってみようかってことでスタートしています。
岩崎さん どうやってTENTさんを見つけたんですか?
一紘さん これも偶然なんですね。TENTさん以外にも複数のデザイナーさんとのプロジェクトをいくつか走らせていたんです。その中で、TENTさんのお知り合いの方に紹介いただいたんですね。それでTENTさんのホームページにあるメールアドレスから問い合わせしてみました。
岩崎さん メールだったんですね。
香予子さん そうです。普通にinfoのメールに送ったんです。私なんて「絶対に無視される!」とか。後ろ向きなことを思っていて。「デザイナーさんって怖いんちゃうか?」って。「これは俺のデザインや!」って来られたらどうしよかなって思うところもあって。
TENT治田 そのイメージが、、
TENT青木 デザイナーさんが偉そうっていう謎のイメージありますよね。
岩崎さん バブルの頃の感じなんですかねえ
TENT青木 偉そうに、、まだしている人もいますけどね、たまに。
こっちはこっちで、当時の平安伸銅さんのホームページを見ながら「いったいどんなおじいちゃんが来るんだろう」と思いつつ、まずは会ったという。
TENT治田 そうしたら、若い方が。
TENT青木 そうですね、すごい熱意をもって、なんか一緒にやりましょう!って言ってくれたんですよね。
香予子さん 当時うちの会社はどういう状況だったかと言いますと、本当に社内はグチャグチャだったんですね。これが、TENTさんとプロジェクトを進めて展示会も終わって、その後、量産に向けた社内への根回しのための打ち合わせの時の写真です。
当時の事務所は本当にしっちゃかめっちゃかで、どんどん人も増やしていたのでオフィスもぱっつんぱっつんで。
さらにそれに拍車をかけるように、オフィスが水漏れしてきたんです。ブルーシートを敷いた状態で執務をしていたんですね。
結局これで引っ越すことにはなったんですけど、初めてデザイナーに来てもらうときに、怖いかもとか、上から目線でこられたらどうしようとか、価値観が合わなかったらどうしようって思っていたんです。
これは、自分たちがイケている会社、かっこいい事務所でかっこいい仕事をしてるわけでない中で、かっこいいものを作っている人に頼むというのは、気がひけるっていうのはあったんですよね。
TENT治田 逆に僕らはこの状況でもネガティブとは思わなくて。むしろ社長が、会社の組織も商品もかえていきたい。場所も引っ越して環境自体も変えていきたいとか。その熱意がすごすぎて、これからよくなっていくんだろうなって、この状態でありながら、可能性は感じていました。
岩崎さん ここからドローアラインにいきつくわけですけど、これがどのよう生まれていったかを聞きたいなと思いまして。
今日ちょっと、当時の資料とか持って来ているんですよね
TENT青木 はい、それでは、当時の資料を少し眺めながらプロセスについて話していきますね。
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